抗生物質の恩恵を受けれなかった新選組隊士
新選組二番隊長・永倉新八は、池田屋騒動や鳥羽伏見の戦、そして戊辰戦争を戦い抜き大正時代まで生きた数少ない隊士でした。そんな彼も、最後はむし歯による感染症から骨膜炎に罹患し、最終的に敗血症を併発し亡くなりました。
イギリスの細菌学者フレミングによる「抗生物質」の歴史的発見は1929年(昭和4年)です。それ以前の時代は結核、梅毒などの感染症はもちろん、むし歯で命を失う人も珍しくはありませんでした。
歴戦のつわもの、永倉新八もこればかりはなすすべがありませんでした。
私たちは近代医学の発達に感謝しなければなりませんね。
(歴史マニアの院長より)